エフーの時代から、「主はイスラエルを少しずつ削り始めておられた」(10:32)とあるように、北王国はヨルダン東岸をアラムに奪われます。アラムは南ユダのエルサレムにも迫る勢いをもって、イスラエルを苦しめました。ヨアシュは三度アラムを打ちますが、ヤロブアム二世は「レボ・ハマテからアラバの海までイスラエルの領土を回復し」(14:25)ました。ハマテはアラムの都ダマスコの70kmも北です。彼はヨルダン川東岸ばかりではなく、アラムも手中に収めるほどの大成功を収めたのです。
「イスラエルの苦しみが非常に激しいのを、主がご覧になったからである。…主はイスラエルの名を天の下から消し去ろうとは言っておられなかった。それで、ヨアシュの子ヤロブアムによって彼らを救われたのである。」これがヤロブアムの成功と繁栄のわけです。
しかしながら、その繁栄の陰には闇がありました。それがアモスの言葉です。「わざわいだ …サマリアの山に信頼している者…象牙の寝台に横たわり、長椅子でからだを伸ばし…」(アモス6:1-)「彼らは、弱い者の頭を地のちりに踏みつけ、貧しい者の道を曲げている。子とその父が同じ女のもとに通って、わたしの聖なる名を汚している。」(アモス2:7)その陰とは弱い者、貧しい者を踏みつけ、自分たちは贅沢三昧をして高ぶっているのです。
全ては神様の恵みによってこの地を与えられ、ここに生かされてきたのがあなた方だったはずではないか。だからさばきを下すというのがアモスを通して語られたメッセージです。神への感謝を忘れ、隣人の愛に冷え、恵みにこたえて生きるということをどこかに追いやっている。そのような国は決して長くは続きません。繁栄してように見えても、何も残りません。私たちはその問いかけを聞きながら、心新たに主の恵みに感謝し、周りへの愛に生き、そして神様の恵みに応える歩みを共にさせていただくことを共に祈ましょう。