交わりの恵み

 今月から、コロナで途絶えていた様々な行事を再開させていきます。キリスト教会が初代教会の時代から続けてきたのは、「彼らはいつも、使徒たちの教えを守り、交わりを持ち、パンを裂き、祈りをしていた。」(使徒2:42 )にある、みことばと交わり、聖餐と祈りです。この4つは大切な使命です。
 このうち、「交わり」の指す内容は多彩です。パウロはローマの教会にフィベを推薦し、次のようにお願いをします。「どうか、聖徒にふさわしく、主にあって彼女を歓迎し、あなたがたの助けが必要であれば、どんなことでも助けてあげてください。彼女は、多くの人々の支援者で、私自身の支援者でもあるのです。」(ローマ16:2)「どんなことでも」ということばが大切です。
 私たちはキリストのからだである教会の一部として加えられました。ですから、からだの一部なのです。その交わりは広く、初代教会では生活のすべてをともにしていました。やがて、それがローマの教会へと伝えられていったときに、パウロは交わりはすべてをともにすることなのだと教えます。私たちはからだの一部である兄姉と「ともに喜び、ともに悲しみ、ともに楽しみ、ともに泣く」のです。私のための交わりではなく、姉のために「私は何ができるだろうか」と献げ合う交わりを築くように導かれています。
 そのための第一歩は「知ること、聞くこと」です。私たちが口に出すことは一部です。口に出さないこと、出せないこと、ためらいがあること、本当は知ってほしいけれど遠慮すること、気遣いのゆえに言えないことなどがたくさんあります。親しい安心した関係の中でなければ正直にありのままを口にすることができません。私たちの教会の交わりがそのような「安心」、それはべらべらしゃべったり、陰でうわさ話をするようなことがないことです。機会が増えます。その交わりが主にあって恵み豊かなものにしていきましょう。