クリスマス、主イエス様の御降誕を祝う時です。イエス様がこの世に来られた最も大切なことは、十字架と復活の救いです。そして、それが最もよく表れているのがこの箇所です。パラダイスとは「楽園」と訳されることばですが、聖書の中で3回しか出てきません。この犯罪人も「あなたが御国に入られるときには」と願うのですが、イエス様はパラダイスにと言われました。それは同じなのですが、より慰めに満ちたことばで救いを語られました。
イエス様は、「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。」と言われます。それは十字架の執行をした兵士、罪に定めようとしたユダヤ人指導者、保身のために十字架に渡したピラト、扇動されて十字架に追いやった群衆ばかりではありません。人の罪を代表することばでした。人は神の御前に出ない限り、罪がわかりません。それほどに罪深いのです。
イエス様の生まれは、処女マリヤをして罪なき始まりでした。荒野の誘惑に打ち勝ち、ゲツセマネの祈りではいのちを捨てる愛の戦いに打ち勝って、自らのすべてを明け渡し、私たちの贖いとなってくださったのです。一点のしみも汚れもないお方が十字架に架かるということ、それが愛のゆえの身代わりの贖いなのです。
それがこの場でただ一人わかったのがこの犯罪人でした。「この方は、悪いことを何もしていない。」それが十字架を忍び、このさばきを受けてくださっている。それは神の御子に他ならない。ですから、信仰をもって願いでるのです。しかも、御国に迎えられる資格などなに一つもない。せめて、「思い出してください」としか言えない。そこに主イエス様は救いのことばをくださいました。イエス様の救いは罪の赦しとパラダイスという希望。ならば、私たちも赦されたように赦し、愛されたように愛し、神の恵みの平和を喜ぶ歩みを共にしようではありませんか。