ヤロブアムの道、それは偶像礼拝です。アハブの道、それはバアル礼拝です。手腕家で国の繁栄をもたらしたアハブは、近隣諸国との外交のためにシドンの王の娘イゼベルを迎え、同時にバアル礼拝が持ち込まれてきました。カルメル山での輝かしい主の勝利の顕れがあってもバアル礼拝が止むことはありませんでした。
さて、アハブがナボテのぶどう畑を奪い取ったとき、エリヤを通して厳しいさばきのことばがありました。その時、アハブはへりくだりました。さばきのことばはいつも悔い改めを迫ります。しかし、引き戻す力も大きいのです。怪力サムソンは、ペリシテ人の女デリラを愛し、彼女の執拗な迫りに負けて、力の秘密を明かして打たれます。アハブとその息子たちもイゼベルとバアルの影響から抜け出られません。
そこにエフーが立てられます。彼はアハブとアハズヤの後に立った王ヨアブに謀反を起こします。イズレエルで彼を打ち、一緒にいたユダの王アハズヤを打ち、イゼベルを打ち、アハブの息子70人、アハズヤの息子42人、そして、バアルの預言者・祭司・信者たちを策略をもって討ち滅ぼします。少しでも根が残っていたら、再び元に戻ります。ですから、そのそのきよめは徹底的でした。
私たちはどのように自分の身をきよく保つことができるでしょう。ヘブル12:4には「あなたがたは、罪と戦って、まだ血を流すまで抵抗したことがありません」とあります。私たちは罪に無力なのです。自分で自分をきよめることなどできません。その前、「イエスから、目を離さないでいなさい。この方は、ご自分の前に置かれた喜びのために、辱めをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されたのです」とあります。そうです。主イエスは十字架で血を流して贖いをし、よみがえって罪と死に勝利したのです。ですから、そのイエスから目を離さないこと。これがきよめの道なのです。これを心に刻みましょう。