私たち人間というものは保守的なもので、変化を望みません。昨日のように今日、今日の続きに明日があるように生きています。ユダヤ人たちは彼らのしきたりを続けたわけですが、そこに新しい教えが入ってきました。男だけで5千人、ただならぬことです。守りに入る者たちが起こした迫害です。
その中でペテロとヨハネが語ったことばが「この方以外には誰によっても救いはありません」ということばです。八百万の神々がある日本、一つだけという信仰のあり方をしない中でどう理解したらよいのでしょう。そればかりではなく世界は小さくなりました。様々な民族、信仰が混じり合って暮らす世の中になっています。
さて、いわゆる宗教と呼ばれるものは人が与えられた知恵をもってつくり出したものです。一方で私たちの信仰は神から語りかけられた啓示によっているのです。そう、聖書を与えてくださったのです。
信仰の対象は何でしょう。神であるお方が人となり、十字架にかかり、よみがえってくださった。それが信仰の基です。「十字架のことばは、滅びる人には愚かであっても」と言われる教えなのです。それは神から与えられたしるしではないでしょうか。
それにしても他の宗教を信じる人たちをどう考えたらよいのでしょう。すべての人が私も含めて罪人であって、神からの赦しと救いをいただかなければならない者なのです。それを恵みによって救い出された私たちだからこそ、ともに救いを祈り続けるということが神から課せられた務めではないでしょうか。
「見たこと聞いたことを話さないわけにはいきません」との確信を深め、この方に寄り頼んで生きるとともに、福音を証しをする者として立っていきましょう。
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