新しい天、新しい地を待ち望む信仰、そして、それがゆえに、地上にあっても、今、すでに聖い生き方をする敬虔な人となるべきことを教えたペテロは、さらに、「しみも傷もない者として、平安をもって御前に出られるように、励みなさい。」(14)と命じます。
結婚式に花嫁は純白の出で立ちです。そこにしみがついていたらどうでしょう。そこだけ洗ってどうにかなるでしょうか。上から何かを被せたり覆ったりしてごまかせるでしょうか。いいえ。すべて新しくしなければならないでしょう。聖書の中で、私たち、そして教会はしばしばキリストの花嫁として描かれ、それにふさわしく花婿なるキリストと結ばれるようたとえられます。そのように整えよと命じるのです。
それはエペソ5章でパウロも書いたことでした。それが「パウロも書き送ったとおり」という言葉の意味です。パウロは、結婚についての教えを書いていますが、それはキリストと教会の関係に焦点が移り、また、夫と妻の関係に話は戻ります。それは、私たちの最も身近な夫婦関係とキリストの恵みは不可分で、教えられて理解し、経験して実感し、振り返って神に感謝をささげるべきことです。しみも傷もない者とするために主の十字架、愛の忍耐が私たちを力づけ、救い、きよめに向かうのです。
ペテロもその忍耐を深く経験した一人でした。彼の名はシモン。それがペテロ=岩を意味する名前をいただきました。しかし、その岩がグラグラと動きました。あの大祭司の庭での裏切りから、十字架、よみがえりの時に三度私を愛するかと聞かれた時に至るまで、主の忍耐によって、ペテロは立たされたのです。同じように弱い私たちですが、キリストの花嫁にふさわしく今日を励みましょう。