私は北海道で20年前暮らしてきました。北海道は農業王国です。その農業技術は格段に進歩しました。そこから考えると、この農家の主人はダメです。農家にとって一番大切なのは作物であり効率よい収量のはずですが、彼にとって収量は関係ありません。人だけを見ています。このたとえ話の主人は神様、私たちが働く人です。
いろいろな働く人がいます。朝早くからの人からはじまって、終了間近な5時に雇われる人もいます。5時ってどういうことでしょう。この時間まで選ばれなかったダメな人でしょうか。いいえ、主人が思いっきり恵み深いのです。1コリント1:26~には「召しのことを考えてごらんなさい…。」取るに足りない、無に等しい者が選ばれたとこのことが書かれています。そしてあなたもその恵みにあずかって選ばれたのです。
あなたはその恵み深い主人のために、訳に立ちたいと思っていないでしょうか。からだが痛い、あちこち痛い。そうかもしれない。でも主人は人を探しています。他にもいるでしょう。でもその場所にいるのはあなただけなのです。あなたの生きる場所、その家庭、職場、人間関係の中で他に代わりはいないのです。
神の恵みは人間の計算では決してつじつまが合いません。人の考える公平でいったら説明がつきません。計算されたら、私たちはどんな扱いをされてもしょうがない、罪の刈り取りをすべき者に過ぎません。しかし、私たちを愛し、私たちのためにどんなことでもすると言って下さるのです。試練の中でも、困難の中でも、かならず助けると言って下さっておられるのです。ならば、神を見上げて僕の賛歌を歌い、ともに生きていこうではありませんか。