創世記1-11章は、この世のすべての始まりを私たちに伝えています。その中でも1-3章は人の始まりと罪の始まりについて、つまり私たちのルーツについて教えています。
天地創造の7日間、「光よあれ」から始まって地が整えられて、神は「さあ、人を造ろう」と仰せになります。それはすべて人が生きるに必要なすべてを整え、それを治めさせる人をお造りになったのです。そして、神は「神のかたち」に人をお作りになりました。それは永遠から永遠に三位一体の神がそれぞれに人格を持ちながら、愛に結ばれ一つである存在としてです。これがルーツであり、人の目的です。そして、それは非常によかった!のです。
ところが、そこに堕落が起こります。神がエデンの中央の木の実を食べてはならないと命じられたのはしるしです。人が神を第一にするためのしるし、しかも、何かをせよと命じられたのではなく、思いのまま食べてよいと命じられた中の一本だけ食べてはならないと言われたのです。しかし、人は蛇の誘惑に自らその実を食べます。それは、「私よりもあなた」という愛の世界に、「あなたよりも私」という自ら妨げられることなく思いのままという罪が入ってきたのです。そして、今の世は、すべてこの罪の原理に覆われているのです。
罪の結果、人は互いを隠し合い、神の前からも隠れます。断絶が生まれました。これまた人の世の現実です。そこに神は「あなたはどこにいるのか」と問いかけます。それは神の悔い改めて立ち返れという招きです。ところが、アダムはエバのせいに、エバは蛇のせいにしてまっすぐに悔い改めようとしません。しかし、神は今も私たちに同じ問いかけをしておられます。「あなたはどこにいるのか。」その御前にへりくだって悔い改めるならば、もう一度、「非常によかった」という祝福に帰ることができる。いつもその問いかけにこたえようではありませんか。