アハブはナボテのぶどう畑を欲し、彼を殺して奪い取りました。そそのかしと裏切りがありました。分かっているけど止められないのか、あるいは本当は分かっていないのか。アハブはこの前に三回、大きな主のみわざを見ます。バアルの預言者との対決に火をもって答える主、サマリアが包囲されてどうにもならないような状況から救い出す主、さらに勝ち目のない敵に不思議な方法で勝利を得させてくださった主。それでもみこころにかなわぬことをして、責められると不機嫌になります。
イズレエルの別邸のそばにナボテのぶどう畑がありました。「肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢…」私たちの欲は目から入ります。ダビデの罪も、ソロモンの「自分の目の欲するものは何も拒まず、心の赴くままににあらゆることを楽しんだ」というものも。ナボテは先祖嗣りの地は譲れないと拒みます。すると、また不機嫌になり、ふて寝をするのです。
すると、イゼベルが彼をそそのかします。その言葉に彼は骨抜きにされ、その陰謀によってナボテを殺すのです。さながらサタンのそそのかしです。同じように私たちも巧妙なサタンのそそのかしを聞きます。思い通りに行かない時、文句を言われた時、誤ちを指摘された時、気を付けなければなりません。「私たちの格闘は血肉に対するものではなく、支配、力、この暗闇の世界の支配者たち、また天上にいる諸々の悪霊に対するものです。」(エペソ6:12)ですから、見分けなければなりません。
そこに遣わされたエリヤはさばきのことばを告げます。するとアハブはへりくだるのです。イゼベルに牛耳られ、首根っこ掴まれて引かれていくような彼が、はじめてです。その彼に主は赦しを与えます。なおのこと、私たちは主イエス・キリストの贖いを与えられています。サタンのそそのかしを見分け、御霊に導かれてきよい歩みをし、主を裏切るようなところから遠ざかろうではありませんか。