「どうしても愛すべきとき」1ヨハネ4:4-11

 私たちにはどうにかしたいけれども、どうにもならないことがあります。話が通じない、赦せない、立ち上がれない。世の中、ファイト=戦って勝ち取るか、ディール=取引してうまくやるかです。真の平和がない世に主イエスさまは涙を流されました。愛こそがただ一つ、解決を与え、平和への道なのに、人がそれを知らないからです。
 愛ということばほど多く語られ、多く歌われながら、その意味するところはあいまいです。ギリシャ語で使われる愛の第一はストロゲー、情けの愛です。情で動きます。愛情、同情、情熱。一方でそれは心動かないこともあり、簡単に薄情になるのです。第二はフィレオー、友愛、友情です。それは基本的にギブアンドテイク。どこかで見返りを求める思いが隠れています。バランスを崩すともろくも消え、不義理だとさばき合います。第三はエロス、男女の愛に用いられますが、価値あるものを愛する愛です。しかし、熱しやすく冷めやすい性質をもっています。これらは私たちのいのちを豊かにするために欠かせませんが、限りがあるのです。
 神の愛は十字架の愛です。罪人である私たちを贖うためにいのちを捨ててくださった。それは、ただただ一方的に与える愛です。「思いはことばにしなければ伝わらず、ことばは行動を伴わなければ意味がない」ものです。主イエス様は人となって私たちのすべての痛みと悩み、誘惑と試み、すべてを知り、なお、あわれみと恵みによって愛してくださった。人のどのことばでも言い表せない愛、それはアガペーです。
 私たち人は受けたようにしかすることができません。一方、この愛を受けたならば、同じように自分を捨てて愛する。「主イエス様がしてくださったように私にもさせてください」という祈りに導かれ、これに生きるなら、主はそこに平和を与えてくださいます。自分の努力ではなしえない十字架の力に生かされる。それがクリスマスの贈り物なのです。