「どうしても赦せないとき」マタイ18:21-35

 私たちの世界、三つのことばがあればうまくいくはずです。「ありがとう、ごめんなさい、ゆるします」です。誰でもわかる簡単なことばですが、その通りに生きることは実に難しいのです。それは私たちの心に「どうしても赦せない」という思いを乗り越えられないからです。
 ダビデの息子アムノンが過ちを犯します。異母兄弟アブシャロムの妹タマルに恋煩いをし、仮病を使って彼女を辱めるのです。アブシャロムは内に秘めた赦せぬ復讐心を果たすため、アムノンを殺害します。彼はエルサレムから逃亡しますが、ダビデの部下のなだめによって連れ戻されます。しかし、ダビデは合わずに飼い殺しにされます。不満を募らせたアブシャロムは謀反を働き、その末はアブシャロムはダビデの臣下に討ち取られます。ダビデはことが治まりつつも、息子の死を悼むというやりきれない結末が待っていました。赦せぬ心から生まれる復讐心がいかに不毛なのかを伝えています。
 「目には目、歯には歯」それが言い伝えです。しかし、イエス様は「悪い者に手向かってはいけません。あなたの右の頬を打つ者には左の頬も向けなさい」と徹底して赦すことをお教えになりました。それと同じように、弟子たちの質問、「兄弟が罪を犯したとき、七度までですか」と言う問いに、「七を七十倍するまで」とお答えになるのです。そして、それに続いて一つのたとえをお話しになりました。それは、「赦されたように赦す」ことです。
 それは、主の祈りの「私たちの負い目をお赦しください。 私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦します」と同じです。イエス様が十字架をして私たちを赦してくださった。その恵みに生きよ!という救いです。赦せぬ思い、それは私たちを縛り付けます。でも、「心から赦す」それを主イエスさまにあってするなら、そこに与えられるのは「自由」です。その力はただイエス様によってのみ与えられる。その赦しをともに生きようではありませんか。