イエスは弟子たちを選び、任命するのですが、「山に登り」とあります。日常の喧噪から離れて祈りに集中なさったのです。イエスはしばしば、そのように寂しいところ、何もない、静かなところに退き、祈りの時を持ちました。そして、神との交わりの中に大切なことを決断されたのです。
イエスがお選びになった弟子たち。シモンからはじまって、ガリラヤ湖の漁師であった者たち。ローマと金に魂を売った取税人マタイ、彼は元の名レビから、「賜物・ギフト」を表す名をいただきました。一方には革命のためには武力さえ厭わない熱心党員シモン。水と油が混じるようなものです。イスカリオテとはイドマヤの「カリオテの男」。他の弟子がガリラヤ出身の中に一人異色に混じっています。
彼らの選び、それは後に使徒に加えられたパウロが言ったように「この世の知者は多くはなく、権力者も多くはなく、身分の高い者も多くはありません。しかし神は・・・この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。・・・神の御前でだれをも誇らせないためです。」(1コリント1:26-29)と徹底して神の恵みです。
そして、その使命はイエスの片腕として働くためです。もっと一気に福音を伝えることができないのだろうかと思います。旧約の民は王によって信仰生活も右往左往します。自ら主体的にお従いする信仰はなかったのでしょうか。歴史は繰り返し、宗教改革によって取り戻さなければならなかったのも、万人祭司という一人一人が神の御前に出るべきことでした。この12人も恵みのゆえに神に選ばれて一人、また一人と救いに導くために使命を与えられました。私たちも同じように選ばれた者にふさわしくおささげしましょう。