「イエスの弟子に加えられる恵み」使徒2:36-42

 ペンテコステのその日、御霊に満たされた人達にいくつかの「しるし」が与えられました。しかし最も大きなしるしは3,000人が弟子に加えられたことです。彼らは何を与えられたのでしょうか。

 第一に罪が示されたということです。罪が罪としてわからないことこそ最大の罪です。道徳的な法的な目に見える罪、それはその現れであって、罪の本質は神を認めず、外れた生き方をしていることです。そして、その罪の連鎖の中に置かれているのが人の姿です。

 第二に主イエスの十字架が自分の罪の贖いだと信じることです。十字架は50日前のできごと、私たちが今知るよりもっとリアルなできごとでした。十字架刑の執行は民の指導者たち、総督。それと自分が何の関係があるでしょう。しかし、聖霊は自分の罪の贖いとしての死と結びつけ、彼らは心刺され、ペテロのことばに従って、悔い改めて受け入れ、罪の赦しの救いをいただくのです。

 第三に賜物として聖霊を受けます。聖霊は人を造り変えます。自分中心から他者中心の愛の人に、受けることより与えることを、自分の喜びより人の喜びを。そして御霊の実を結ぶようにさせてくださるのです。

 第四にキリストのからだである教会、神の家族に加えて下さいます。そこには「わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」というイエスの新しい戒めをともに求め、「いたわり合い、ともに苦しみ、ともに喜び、一つとなること」を行きます。この後にでてくる初代教会の交わりはそのように形づくられました。

 イエスの弟子に加えられた恵みはそのように彼らに与えられたのです。そして、それは今も私たちに与えられているのです。