「イエスの死、その時」マルコ15:33-41
マルコの福音書を読み進めてきて、いよいよイエスの死の場面です。十字架に架けられると人々はイエスを罵りました。そして、「十二時になったとき、闇が全地をおおい、午後三時まで続」きました(33)。死を迎えるまでの記事から3つのことを心に留めたいと思います。
この全地を覆った闇は、何を指しているのでしょうか。私たちの「死」の闇です。誰も逃れることができません。そしてその原因は「神から離れた人の罪」です。生きる基準を見失った人は暗闇に置かれているのです。その死の闇を象徴するのがこの暗闇です。罪は闇から闇へと忘れ去れていきますが、この暗闇だけは、誰にも忘れられない出来事になりました。
そこでイエス様は迎える死の直前、「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」と叫ばれました。これは詩篇22篇のことばですが、暗闇の中を死んでいく者たちの叫びです。伝道者の書には「空の空」ということばが出てきます。はじめの人アダムとエバはエデンの園で神との親しい交わり、互いの間も裸であっても恥ずかしくない、一つに生きる喜びがありました。ところが堕罪の結果、「死」というものが世に入ってきました。神から離れること、それはすでに霊的な死です。だから、「空の空」なのです。 イエス様は、人としてのいのちを全うして死をも負ってくださいました。それは私たちの贖いとなるためでした。しかも自ら進んで。
イエスが息を引き取ると、「神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂け」ました(38)。神殿の幕とは罪のゆえに隔てられた神と人との隔てです。堕罪以来、人はこの隔てをどうすることもできませんでした。しかし、今、神の側からそれを裂いてくださった。しかも、イエスの死という大きな贖いの代価を払って。それがゆえの赦しです。それが愛のわざでした。だから恵みなのです。だからあわれみなのです。それを受けるようにと招かれています。その招きを心から信じようではありませんか。