35節は、イエスがなさったことを4つのことばで教えています。
第一は「教え」です。学校では学問、家庭ではしつけ、会社では仕事です。会堂、ユダヤ人のシナゴーグで当時の律法学者たちが教えた教えにイエスは危機を覚えました。彼らは神のことばではなく、人間の教え、言い伝えを教えていました。それとイエスのことばはまったく違っていたからです。
第二は「宣べ伝える」ことです。それは王が国民に宣告・宣言することを意味します。イエスが宣べ伝えたのは「御国の福音」。神の国のよい知らせを人々に伝えました。
第三は「いやす・治す」ことです。仕えるとか看病することを指すことばです。イエスはあらゆる病、あらゆる患いをいやされたとあります。9章だけでも中風、死んだ人、盲人、長血の女、口のきけない人、悪霊つきの人をいやしたことが記録されています。また「あなたの罪は赦された」とおっしゃり、罪に病んでいる人をもいやされました。36節にはイエスの目に映った人々の姿が描かれています。「群衆を見て、羊飼いのいない羊のように弱り果てて、倒れている彼らをかわいそうに思われた。」羊には羊飼いがどうしても必要です。羊は目先のことしか見えません。羊飼いがいなければ、どこに向かうかわからない、何を求めるべきなのかもわかないのです。パウロは第一コリント9:26で「私は決勝点がどこかわからないような走り方はしていません。空を打つような拳闘もしてはいません」と言いました。羊飼いとして、イエスはいやし・治し、導く方なのです。
第四はユダヤ、サマリヤ、ガリラヤの村々を巡ったことです。迷っている人々にこの羊飼いなるご自身を表したのです。このイエスに導かれて歩みたいのです。