「キリストにあって満たされる」コロサイ2:1-12

 今年はAIの年と言ってもいいのではないくらいに、誰もが使える技術として普及した年でした。それは言ってみれば、人の知識と知恵の結集です。過去に書かれたもの、記録に残っているものの蓄積からことを判断し、適切な答えを導き出してくれます。それでは、その通りにできるかと言えば、そうはいかないのが人間の現実です。それは「罪」が染みついているからです。そして、その罪を乗り越えることは、人の知恵と知識ではできません。自分の罪を悔い改めるのではなく、煩悩のゆえに仕方が無いものと受けとめたり、お祓いをしたりするのです。
 一年間、ソロモンから南北王朝、ユダの末期まで旧約聖書の王国の歴史を学びました。偶像礼拝というヤロブアムの道、豊穣の神バアルを拝むアハズの道、そして、偶像から卜占、まじないまでありとあらゆる神ならぬものに手を出したマナセの罪。神から離れる人の姿がどんなにか空しいものであるのかを学びました。しかし、「キリストのうちに、知恵と知識の宝がすべて隠されている」のです。それは、十字架の贖いのよって罪を贖い、神と共に生きる新しいいのちに生かされる神の知恵と知識です。
 ですから、ここではその知識をいただいたキリスト者に、「あなたがたはキリストにあって、満たされているのです」と言うのです。一方、「御霊に満たされなさい」とも言われます。すでにキリストによって満たされたあなたがたは、満たされ続けるために「心を尽くし、思いを尽くし、精神を尽くして」お従いすることが求められているのです。
 そのように生きた結果、「深い慈愛の心、親切、謙遜、柔和、寛容、そして忍耐と赦し、結びの帯としての愛」、これを身に付けたかをもう一度、問い直したいのです。キリストにあって満たされた一年を過ごしただろうか。そこから逸れてはいなかったか。一歩でも成長できただろうか。心を整えて、新しい年を迎える備えをしようではありませんか。