CIMの創設者、ハドソン・テーラーは中国の奥地への困難なパイオニア・ミッションに大きな苦労を強いられました。内線激しい中国で目の前に倒れて死んでいる人がいる。我が子も妻も病に倒れ、自身も病に伏し、肉体的にも精神的にも追い詰められる。そのようなとき、コロサイ書が警告する「だましごとの哲学」、この世の教え、そのようなものの誘惑は大きく迫ります。最初の人アダムも荒野のイエスも誘惑を受けました。どこまでも私たちを神から遠ざけようとする力は働くのです。彼はヨハネ4章の「私の与える水を飲むものは決して渇くことがない」というみことばの励ましをいただきます。
それは、私たちの古いいのちは「バプテスマによってキリストとともに葬られ、また、キリストを死者の中からよみがえらせた神の力を信じる信仰によって、キリストとともによみがえらされた」からです。古い罪の私たちは十字架に釘付けにされた。十字架はさらしものです。誰にも責められることなく刑を全うしたのです。そして、よみがえりは新しいいのちです。「すべての支配と権威を解除してさらしものにして…」とは、勝利の凱旋パレードです。すべてに勝利したのです。
バプテスマには罪を洗い流し古い自分に死ぬこと、キリストのご支配のもとに新しく生まれたことを告白するという意味を持っています。私たちはバプテスマを受けるときに誓約をします。それは私たちの祈りであり、果たさせて下さる神の恵みに委ねる告白です。
一方それは、一度飲めば終わりではありません。絶えずキリストの与える水を飲み続けること。それこそ私たちの力です。新しいいのちに生かされた私たちは、すべてに勝利した主イエスの支配と権威、その恵みに信頼する信仰によって歩もうではありませんか。