「パンは満たされる」ヨハネ6:1-15

 こどもの成長のバロメーターは自立です。この時代、高齢者が増え、仕事といえば非正規職員が増え、ちゃんと自分で食べていくことができるんだろうか。そんな心配を覚えます。そんな中、この五千人の給食の奇蹟の問いかけを考えてみたいのです。

 場所はガリラヤ湖の向こう岸、人里離れた場所に人々は集まります。それはイエスのわざ、いやしを見たからです。食べることすら忘れていました。イエスは弟子たちに問いかけます。「どこからパンを買って来て、この人々に食べさせようか。」弟子たちは「二百デナリのパンでは足りません」と言います。できっこない。それが彼らの答えです。ところがイエスは彼らに群衆を座らせ、パンを与えてくださったのです。しかも余りを数えると12のかごにいっぱいでした。

 すると、人々はイエスを王に担ぎ上げようとします。それはパンを食べて満腹したからです(26)。人は目の前の必要が満たされると真実から目をそらされます。私たちの国、敗戦のどん底からまもなく70年、豊かな国になりました。パンは満たされましたが幸せではありません。年間3万人が自殺します。子どもたちの時代に私たちは何を願い、何を祈ったらよいのでしょうか。

 イエスは「「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません(53)」と言われました。それはご自身が私たちの罪のために十字架でいのちを捨てる愛だと聖書は告げます。食べるパンではない。いのちのパンである救い主イエスの愛をいつもいただき、永遠に価値ある愛に生きることです。それこそ真実のパンに満たされること。これこそ、子どもたちのために願う一番のこととしましょう。

録音データを聞く