心が動かない痛み

 フィリピンの台風被害。その規模は東日本大震災の津波に匹敵する。ところが、私の心は動かない。離れてしまうとそうなのか。身近な出来事には心揺さぶられるのか。狭い心の自分であることが悲しい。

 死者は2,360人、負傷者は3,053人。約148万人が避難を強いられている(国連人道問題調整事務所発表、14日現在)。風速90メートルの風雨が吹き荒れ、強風による高潮が遠浅のレイテ湾の地形と相まって勢いを強め、その高さ5メートル以上とも言われる。津波と同じだ。さらに追い打ちをかけているのが深刻な物資不足だ。ライフラインや道路が寸断されていて、物資は足止め状態。さらに治安の悪化が輪をかける。

 フィリピン人はお付き合いをしてみると概しておおらかだ。暖かな気候、それは温和な風土が育てるものなのだろう。ところが、そこで略奪や暴行などが起こっているという。人が生きるか死ぬかの極限に追いやられたとき、生死を肌で感じ、感覚が麻痺したとき、人の心はうわべではない本当の姿が表れ、一杯の水を奪い合うようなことが起こる。

 早天祈祷会で読んだゼパニヤ書の言葉が響いている。『これが、安らかに過ごし、心の中で、「私だけは特別だ」と言ったあのおごった町なのか。(2:15)』主が国々を滅ぼし、荒れ廃れさせる日の預言のことばだ。東日本大震災の時には心揺さぶられ、どうにかこうにかしなければという思いに突き動かされる経験をした。ところが、海の向こうの出来事には心が同じようには動かない。そのことに心痛む。そして、振り返るべきは自分の心の在り様だ。無関心な冷たい心、愛の不足、赦せぬ憤り、溜め込んだ不満や高慢。うわべ繕っても化けの皮は剥が落ちる。主よ。ただ、あなたの御前に新しい人にしてくださいと祈るものである。