今日のテーマは「勇気」です。勇気というのは一言で言うと「正しいことを正しい、間違っていることを間違っていると言えること」です。そして、そのように行動することです。その反対言葉はなんでしょうか。それは臆病かもしれませんが、もう一つ、それは同調です。みんながどうしてる。みんなはどう思うと考え、合わせるてしまうのです。
イスラエルは40日間、ペリシテと向き合ったままビクビクと怯えて、誰かが立たなければならないけれど、みな恐れ惑っています。誰も立たない中、ダビデは「私が」と立つのです。その勇気はどこからくるのでしょうか。「獅子や熊の爪からしもべを救い出してくださった主は、このペリシテ人の手からも私を救い出してくださいます。」(37)これがダビデが勇気いただいた鍵です。
獅子や熊が来れば、どんな人でも恐れます。ダビデは「主よお助けください」とその場をくぐり抜ける経験を何度もしてきました。そうなれば誰がでもなく、周りを見渡しても誰もいない。「私が」と立たなければなりません。今ペリシテ人の前にあって、周りに合わせるのではない。周りがどう考えるかではない。あなたはどうかと問われ、「私が」と立ったのです。それは、自分に力あって戦えるのではない。主がが私を救い出してくださいますと言うのです。これこそがホンモノの勇気です。
ダビデはその通りに進み、サウル王はそれならやってみろと送り出します。鎧、こんなの重くて着けられません。槍、使ったこともありません。私はこの石投げで十分です。そして、ゴリヤテを倒し、イスラエルを救います。信仰の先達たちはみな、主が私を立たせてくださるのならと勇気をもって一人で立ちました。とりわけ、私たち日本人は同調圧力の高い国民性を持っています。そういう中で、周りの目ではなく、神の目にどうかということをいつも基準に生きる人になること。それを次の世代の子どもたちへと祈りましょう。