「マケドニヤの叫び」使徒16:6-10

 パウロの第二次伝道旅行、それは先の伝道旅行で生まれた教会を問安し、力づけることから始まりました。当時の東地中海世界ではアンテオケ、エジプトのアレキサンドリヤ、アジアのエペソが三大都市と呼ばれ、パウロは続いてアジアに福音を伝えたいと願っていました。近いところ、大きな町からという願いと計画を持っていたことでしょう。

 ところが、アジアでみことばを語ることを禁じられ、北のビテニヤに行こうとするも、イエスの御霊がお許しにならず、トロアスに下ります。何があったのでしょうか。想像を膨らませるなら、天候や道が何らか塞がれて行けなくなったのか、あるいは迫害者たちの妨害にあったのか、いずれにせよ願っていたようには進めなかったのです。しかし、それはマケドニヤに導くためであることを後に知らされます。その時には道が閉じられたように思ったことでしたが、後から振り返るならば、その一つ一つは聖霊の導きによってのことであったのです。

 その結果、第一に他の働き手との協力に導かれました。パウロ一人の働きには限りがありますが、他の働き手が備えられてエペソをはじめとしてアジアにも福音が伝えられました。私たちの働きも一人ではできないことばかりですが、ともに労する器を主が備えてくださるのです。

 第二にそれは、救いを求める叫びがそこにあることをもう一度思い起こさせるためでした。私たちも震災以来、助けを求める人の叫びを多く聞きました。時間とともにそれは遠く感じます。しかし、いつも滅び行く世界の中で、すぐ隣りに助けを求める声にはならない叫びがあるのではないでしょうか。主よ。私たちをお用いください。兄弟姉妹とともに救いを告げ知らせるためにと祈りましょう。

録音データを聞く