<李載華宣教師>
ペテロはイエス様が十字架に掛かられる前に、自分がイエスの弟子だということを3回否定しました。復活のイエス様に再び会った時、ペテロはどんな心境だったでしょう。また、イエス様に3回「あなたは私を愛しますか」と聞かれることは、ペテロにとってどんな意義があったでしょうか。自分が愛し、また、自分を愛してくれる人を裏切ったという悔やみや罪悪感をペテロは持っていたでしょう。けれども、自分が背いた人に声をかけられ、聞かれたからこそ、赦しを知り、悔い改めと愛を言い表すことも出来たでしょう。
イエス様の赦しを知って、自分の罪を認める人は、完全な赦しを頂く上に、重大な責任が託されています。それは、「わたしの羊を飼いなさい」という牧会の責任です。「牧会」とは、良い羊飼いイエス様のように、イエス様の愛する群れを育て、守る、命を捨てるまで仕え、愛することです。ですから、これはイエス様を愛する人しか出来ないことであり、イエス様に対する愛の現れなのです。イエス様を愛するひとりひとりがこのために招かれていて、賜物が与えられています。
とはいえ、イエス様に、そして、兄弟姉妹に仕えて行く道は、必ずしも簡単なことではありません。むしろ、いのちさえも失うことが伴ってくる道かもしれません。けれども、この道の終わりは死ではありません。なぜなら、再臨の時、イエス様を信じ、従うすべての人が、一切イエス様にふさわしい栄誉、また、イエス様の支配下になる全てのものをイエス様の共同相続人として頂くのですから。
その日まで、イエス様が赦されたように、牧会するように招かれている私たちが振り向かないで、全てを委ね、希望をもって、命をかけて、イエス様の福音を述べ伝えて行きましょう。