アブラハムは信仰の父です。ヘブル11章によればそれは明らかです。しかし、聖書をみると、アブラハムはとても不信仰であることがわかります。
彼はカナンに導かれたときも途中で留まってしまいます。エジプトに避難したときは妻サラを妹だとして結婚関係に危機を招くばかりでなく神さまの約束に対立しました。後日アビメレク王の所でも同じことをしますが、イサクがサラとの間に生まれるという約束をいただいた後のことですから事態はもっと深刻です。その間にも自分たちの考えで神の約束を実現しようとしてハガルたちを苦しめることもありました。これらは不信仰な姿ではないでしょうか。しかも私たちが決してしないようなことさえしているのです。
一方神さまは、このアブラハムの不信仰な態度に対してとがめるのではなく、結ばれた約束をさらに明らかにされていきました。そうして、神は約束されたことに忠実であることを知らせ、神の約束は必ず実現することをアブラハムは学んでいきました。罰を与えるよりも効果的な方法でしょう。
その結果、アブラハムはイサクをささげるという神の約束を信じ切る信仰者とされていきました。そこには自分の不信仰な姿を理解しているアブラハムがいます。神をどんどん知ることによって自分の不信仰さも知り、それゆえに自分の判断がどうであっても神に頼っていく姿勢です。
同じように私たちの成長は、自分が強くなっていくのではなく、ますます弱いことを知って神に頼り、神の力があらわされていくことです。神さまは救いの約束に従って私たちもアブラハムのように育んで用いてくださるのです。
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