この箇所は主イエス様の昇天です。天は神のおられるところ。そして、地は私たちの住まうところ、それは決して隔てられているのではなく、主は御手を延べておられます。ルターは「主が近くにおられたとき、主は私たちから遠くあられた。主が私たちから遠いとき、主は私たちに近くおられる」と言いました。主が地上に留まっていたら、誰もが会うということはできないでしょう。あるいは偶像化されるでしょう。ところが、天におられるということは、いつでも、どこでも、呼べば答えてくださる。そのように近くにおられるのです。
そして、神の右の座、そこは、神と共に王としてともに治める権威の座です。「私たちの国籍は天にあり。」そして、神の国を生きるとは、主の主権のもとに、信じ生きる者にはどこであっても神の国。その守りと養い、導きをいただくのです。そして、神の国の則、それは「私があなた方を愛したように、互いに愛し合う」という新しい戒めです。
主イエス様は天で、私たちのために取りなしをしていてくださいます。ローマ書の8章に、「主イエス・キリストにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません」ということばがあります。どんな苦難、苦悩、迫害、飢え…、いかなるものが襲っても、主が絶えず私たちを愛をもって神の国の王としてお守りくださる。それが天におられる主のしてくださる恵みです。
そして、これがマルコの福音書の伝える「福音のはじめ」です。そこから始まって、この福音は閉じてはいません。この後に開かれ、今に至るまで、福音が拡がり続け、主イエスの恵みに福音が満たされるように、私たちも主とともに働くように招かれています。
この福音を喜び、また、この福音を携えて出ていこうではありませんか。