一年の最後に胸のつかえのあることはありませんか。気がかりなことがありませんか。やっておかなければならないと思いつつもできないでいることはありませんか。それをしなければ、生きてはいけないというものではないかもしれない。でも、そのためにこそ生きている。救われた。そう言うべきことが私たちにはあるのです。
このピレモンへの手紙は、主人ピレモンのもとを逃げた奴隷であるオネシモのことをきちんと誠意をもって精算するためにパウロが書いた手紙です。オネシモはローマの獄中にいるパウロとの出会いによって、「彼は私の心そのものです。」という信頼を得る者になりました。そこに、損害は私が払う。あなたが強いられてではなく自発的に赦し迎えてくれることを信じている、いや、それ以上のことをしてくれると確信し嘆願しているのです。
世の中、そうもいかないことが実に多いのです。第二テモテの手紙を開くと、「今の世を愛し、私を捨てた」とか、「アジアにいる人々はみな、私を離れていきました」とか、実に心許ないできごとが起こるのです。一方で、この手紙はそうではない、交わりの豊かな証が記されています。
第二ペテロには、「あなたがたは…互いに心から熱く愛し合いなさい。」(1:22)という奨めがのことばがありました。ペテロにとってはいつも、最後の晩餐での洗足、その後の三度の否認、よみがえりのイエス様の「あなたは私を愛するか」という三度の問いかけと切り離せません。それを思い起こしては心新たに愛することを祈りのうちに新たにしました。パウロも同じ。かつては迫害者であった者がバルナバのとりなしによって弟子の仲間に加えられ愛されました。そして今、愛し合う交わりをここに造ろうとしています。年の暮れにあたって、しみや汚れをきちんと精算して、主にあって新しい一年を迎える備えをいたしましょう。