偽預言者、それがイスラエルの中からでたことが書かれています。1列王18章のアハブ王の時代のことを見てみましょう。彼は国内外において政治的に成功を収めます。外交的に友好関係を結び、そして、経済的にも上手く行きます。王として成功するのは、国に安定的な平和をもたらし、経済的に繁栄するのが条件でしょう。かりそめの成功です。
旧約聖書にイスラエルとユダの歴史を読んでいくと、王によって国の信仰生活は大きく変わります。バベルの時代、それは権力者が現れた時代です。そして、その権力によって「上意下達」という態勢が敷かれるのです。、例えば日本やドイツの戦時体制のような、今考えれば、おかしなことがまかり通ります。そして民はその度、よろめきます。
さて、偽預言者。それはイゼベルの食卓につく450人のバアルの預言者と、400人のアシェラの預言者。エリヤは問いかけます。「あなたがたは、いつまでどっちつかずによろめいているのか。もし、主が神であれば、それに従い、もし、バアルが神であれば、それに従え。」こういうとき、どうするのでしょう。周りを見渡すんです。そうじゃないでしょうか。自ら主体的に答えはしません。皆がどうするか。他人任せなのです。
偽預言者が持ち込んだものは、異端、好色、貪欲。道徳的退廃です。一方ではかりそめの成功。うまく行っているように見えます。神を愛し、隣人を愛するという神が導かれる生き方からズレている。どちらかという厳しい問いかけを問われることもない。知らず知らずのうちにその偽の声に引きずられているということがないでしょうか。人ごとではありません。偽教師が現れる。それはいつの時代も、私たちの時代も同じ。主に従うということを堅くしたいと願います。