「和解の時、神のご計画」創世記45:1-15

 いよいよ、ヨセフ物語のクライマックス、ヨセフが兄弟に自らを明かして和解に導かれる場面です。ヨセフと兄弟たち、そしてヤコブが口にしたことばをキーワードにこのストーリーを読み進めてきました。「私も神を恐れる者だから」(42:18)、「神はいったい何をなさったのだろう」(42:28)、「全能の神」(43:14)、「神がしもべどもの咎を暴かれたのです」(44:16)
 様々な出来事が起こりました。憎しみ、ウソ偽り、だまし騙され…しかし、彼らも信仰者なのです。ですから、一つ一つの出来事に神のみこころを求めるのです。嬉しいこともあれば悲しいこともある。苦しみの中にあっても、今はわからないけれども、神が導いておられることを彼らは信じているのです。そして、神は彼らに時を備えておられました。
 ここで、ヨセフは叫び、そして泣きます。兄弟たちにはエジプトの支配者が実は自分たちが売った弟のヨセフだなんて。そしてヨセフは言います。「 私をここに売ったことで、今、心を痛めたり自分を責めたりしないでください。神はあなたがたより先に私を遣わし、いのちを救うようにしてくださいました。」(5)彼らにだけ起こった稀に見る「おはなし」ではありません。神を信じる者に神は同じようにしてくださるのです。
 兄弟を前にしたヨセフの苦しみ、それは、ゲッセマネの園でのイエスの祈りに繋がります。「わが父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしが望むようにではなく、あなたが望まれるままに、なさってください。」(マタイ26:39)ヨセフには葛藤がありました。それはイエス様の払ってくださった代価の大きさも同じです。一方で、真に悔い改める者には赦しが与えられ、長年縛り付けられてきた罪のなわめから自由にされる。そして、和解と喜びが、苦しみを吹き飛ばして覆うのです。