マケドニヤ人の叫びを幻に見たパウロは神が導いていると確信して第一の町であるピリピに渡ります。占いの霊につかれた女奴隷から霊を追い出し、儲けを得ていた主人たちに迫害されてむち打たれ、牢につながれます。
牢の中でパウロとシラスは祈り、賛美しました。状況に左右されない喜びが彼らの中にあったのです。彼らは何を思っていたのでしょうか。ダニエル書には迫害のゆえに燃える炉に投げ込まれ、あるいは獅子の穴に投げ込まれても、神が救い出してくださる。そうでなくても像を拝みはしないと告白したダニエルたちがでてきます。主イエスも山上の説教で「迫害されている者は幸い」と教え、天での報いを仰ぎ見て耐え忍んだ預言者たちに目を留めるようにと勧めました。
さて、そこに大地震が起こり、牢の戸は開き、囚人の鎖も解けて、看守は自殺しようとします。目の前の自分の仕事が果たせなかったその責任をとろうとしたのでしょう。そして彼は、彼を励ますパウロとシラスに「救われるためには何をしたらよいでしょう」と求めるのです。マケドニヤ人の叫びです。
彼らは「主イエスを信じなさい」と勧めます。あえて訳すなら「あなたは、主イエスを信じなさい」という呼びかけです。地震を通して震われたのは、他でもないあなたですと問いかけます。神が震うのは、いつでも「あなたはどうか」ということです。何を信じるべきか知らない彼らにパウロたちは主のことば、つまり福音を語りました。彼は信じ、彼の家族も信じ、一同で救いを喜んだのです。
私たちが問われることも同じです。あなたはどうですか。誰でもない、あなたに問いかけておられるのです。救いのことばに耳を傾け、ますます救いの素晴らしさを知ろうではありませんか。伝えようではありませんか。