「御霊に導かれて進もう」ガラテヤ5:16-25

 私たちはキリストによって罪の奴隷から自由にされました。その自由は自分のため、好き勝手に生きることではなく、愛をもって互いに仕え合うためです。そこには、私たちの心に起こる二つの生き方が問われます。
 第一にそれは肉の思いです。それは生まれながらの私たちの罪の姿で、情欲・欲望からくるもの、自分を中心に物事を考え、人間関係の中でぶつかり合うような罪の姿です。「色・欲・カネ」、「飲む・打つ・買う」、目で見て刺激され、耳に入り、匂いで、あるいは味わって、触れて刺激される「五感」とともに働く「五欲」とも言われます。私たちの心の底には泥が溜まっていて、普段、上澄みできれいに生きています。ところが、何かでかき乱されると途端に濁る。そのような思いは、すでにキリストともに十字架につけた。もはやそれに支配されることはないのです。
 一方、御霊に導かれて生きるとき、誰もが必ず「御霊の実」を結びます。愛、喜び、平安は神からの賜物です。寛容、親切、善意、それは周りに対して現すものです。誠実、柔和、自制は自らを律する心です。福音書にはイエス様がいちじくの木を枯らされたエピソードがでてきます。しかも、季節ではなかったのにもかかわらずです。それは、イエス様の求めに、「今じゃない」と言い訳したりするべきではないことを教えるレッスンでした。
 良い実を結ぶためのは、肉のわざを捨てて刈り込み、御霊の導きを日々選び取ることが求められます。私たちの心には二つの声が聞こえます。「当然、当然。あなたの思いはそれでいいんだ」という肉の声。一方で御霊が「それでいいんだろうか。これを選べ」と声を聞かせてくださる。それは私たちのうちに御霊が住んでくださっている「しるし」です。それを選び取ることこそ、御霊によって進むとういことです。今年も心新たに「御霊によって進む」歩みを共に続けていこうではありませんか。