復活の日の夕方、弟子たちが集まっているところにイエス様はお顕れになりました。そこで、イエス様が弟子たちにかけられたことばが、「平安があなたがたにあるように」ということばです。復活の後に最初にかけられたことばであるがゆえに、また、それは短い箇所に3回繰り返されています。
「平安」の反対は「不安」です。恐れや不安から人は壁を作る。そして、その壁の中に自らを閉じ込め、ますます恐れや不安に捕らわれる。世界大のことから、私たちのごく身近なところまで、そんなものにがんじがらめにされているのが私たちの世界です。弟子たちもまた、不安を抱えていました。自分たちもどうにかされるのではないだろうかという不安、望みが絶たれた不安、イエスを裏切った自分自身に対する不安。
そこに復活のイエスが言われたのです。平安とは平和とも訳されることばです。イエス様は平和の君として来られたお方、そして私たちに新しい戒めをくださいました。私があなたがたを愛したように互いに愛し合いなさい。その第一歩はここにある「赦し」です。それこそが平和・平安の鍵なのです。
一方で、私たちは「赦し」が難しい者たちです。そこに息を吹きかけて「聖霊を受けなさい」と言われます。聖霊は助け主、傍らに立つべく呼ばれた者です。「赦し」に難しく、愛に乏しい私たちが平和の君に従って生きるように、絶えず傍らにおられる。その聖霊の息吹、導きを受けて生きるように招かれているのです。「平安があなたがたにあるように」と言われたイエスは、そのように平安と平和を造り出すいのちを生きるように招いておられます。不安で一杯だった彼らはイエスがともにおられることに喜びました。同じように傍らに聖霊を与えておられるのです。