「恵みを喜び、主に委ねる」第一歴代誌29:10-19

 「老い」には、どこか「衰え」を覚えるようなネガティブで消極的なイメージがつきまといがちです。しかし、「老い」は人生の成熟。高潔な貴い品性、幸に輝く歩みに導かれたなら、なんと素晴らしいことではないでしょうか。ダビデの最期にそれを学びましょう。
 ダビデはここに、「私たちの父イスラエルの神、主よ。あなたがとこしえからとこしえまで、ほめたたえられますように。」から始まって神を崇め、喜ぶ讃美を献げます。それこそ第一のものであるからです。ダビデは一介の羊飼いの少年時代から始まりました。謙遜な歩みを始めたはずの彼が王となり、周りの敵をも従わせるようになると、何でも自分の思い通りになる「おごり・高ぶり」が支配し、罪を罪とも気づかないようになってしまいます。悔い改めに導かれ、生涯の最期のとき、求めるべくは神への讃美ただそれだけと告白するのです。
 ダビデは神殿建設を志し、その備えをしてきました。おびただしい物資、それに留まらずレビ人を組織して主の宮の務めをする者、門衛、歌歌い、軍の組織から国を整えます。そのすべては神の賜物だと告白し、感謝を献げます。実に、私たちは裸で生まれ、裸で天に帰ります。ところが、まるで自分のもののように頓着したりします。失うときには失い、与えられたものは感謝する。そして、神に望みを置くのです。
 ダビデは、神殿の建設の備えはしましたが、それはソロモンに委ねます。歳をとると、やり残したと思うようなことがあり、一方、自分ではもうできないことが出てきます。あきらめではなく受容、そして、続く者たちに委ねる。ダビデはそれを祈るのです。何ができなくなっても私たちは祈ることができる。すべてに力をもってことを導かれる主に委ねることができる。それは主にある者の特権です。
 讃美と感謝と委ねる祈り、それは老いたからではない、主にある者の生き方。高潔に、そして、その幸に輝く歩みをともに献げましょう。