「旅人であり寄留者」、それはヘブル人への手紙11章でも信仰の先達たちについて語られています。アブラハムはまだ、その約束を見てはいません。空の星、海辺の砂のような子孫を見てはいません。しかし、もう生まれることも期待できなかったイサクが与えられたとき、約束してくださったお方がご真実なお方だと信じました。ですから、イサクをささげることを求められたとき、ためらいもなくささげるのです。それは「神の国」を生きることです。神のご支配の及ぶところ、私たちの国籍は天にあり、地上においては、旅人であり寄留者なのです。
ですから、「たましいに戦いをいどむ肉の欲を遠ざけなさい」とペテロは勧めます。「だれも、ふたりの主人に仕えることはできません」とイエス様は言われました。二つのことを上手くやれると思ったら大間違いです。私たち人の心は弱いのです。近づくな!危険!。必要なのはハザードマップです。自分の心を、たましいを奪ってしまうようなこと、あなたにはありませんか。
ペテロは続けてむしろ、私たちは「異邦人の中でりっぱにふるまい」と言います。それは、私たちの人柄、品性が問われます。先取りになりますが、3章では、「柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人がらを飾りにしなさい」と勧められています。柔和とは、獣が手懐けられることを元来意味します。私たちの中に住み着く獣、それは「心優しく、へりくだっている」イエス様に学び、くびきをともにすることです。そのとき、ともに住んでくださるキリストを証しする者とされる。それがペテロの勧めです。世にあって、世に染まらず、むしろ内に住むキリストの霊によって歩もうではありませんか。