人生には、苦しみが付きものです。また、自分の心を見つめれば、醜い罪や神への不信仰を見出します。社会の動向を見ても不安要素が溢れています。この暗闇の世にあって、私たちの生きる希望や喜びをどこにあるのでしょうか。答えは、神にあります。そのことをルツ記から学びたいと思います。
1章1-5節には、ルツ記の場面設定や最初の登場人物たちが紹介されています。この時代は「さばきつかさが治めていた」時代、つまり霊的には闇の時代でした。その特徴は士師記21章25節に書かれていています。イスラエルの民は「自分の目に良いと見える」ことを行い、偶像礼拝や数々の不道徳を犯すようになりました。神や聖書よりも「自分が良いと思いことを信じてることが一番」という考え方が上位に来るなら、この時代と現代日本と似ているかもしれません。
さて、ルツ記は、由緒正しい神を信じる一家にスポットを当てます。彼らは飢饉という試練に見舞われ、「モアブ」へ行きました。モアブの価値観と宗教はイスラエルと相入れません。この家族がモアブで生活をし続けている姿に、読者は心騒ぎます。雲行きが怪しい、と。
加えて「家族の死別」という苦難が彼らを襲います。一家の大黒柱と息子二人は亡くなり、残された女性たちは悲しみに明け暮れ、経済的にも窮地に陥ります。残された人々に文字通り絶望が訪れます。
このようにルツ記は真っ暗闇の中からスタートします。しかし、この暗闇の中でも神は彼女たちを顧みます(6節)。失敗や悲しみに苛まれる女性たちを、神は見捨てなかったのです。この顧みてくださる神こそ、ナオミたちやイスラエル民族、そして私たちを救ってくださるお方です。暗闇の中ででも、私たちの希望と喜びは神にあります。そのことを忘れず、この主イエスを見上げて、互いに励まし合い、共にも歩んでいきましょう。