今日で震災からちょうど丸一年、最初の半年、被災者たちは「がんばっぺ」と言ってきました。それから半年は多くの人ががんばってもどうにもならないことに直面して不安を覚え、「なんとかなっぺ」という声も聞かれます。そして、私たちも同じように震災を通しての問いかけを考えてきました。
このみことばが語りかけるのは、この地震も、あるいは戦争もききんも、世の終わりの前兆として主イエス様がすでに私たちに知らせておられたことです。この世には始まりがあり、終わりがある。私たち一人一人にとってもこの地上での命には始まりがあり、終わりがあるのです。私たちは厳粛に受け止めなければなりません。多くを失い、あるいは何もかも失い、限りある命の中で最も大切なことは何かと問われているのです。
25章では「花婿を迎える10人の娘のたとえ」、「タラントのたとえ」が語られています。人生の総決算をするべきときがくるのです。震災後、私も東奔西走しました。そこで考えさせられ、教えられたことがあります。私たちにはできることの限りがあります。何もかもできればと願いますが、選ばなければなりません。また、私たちは人の心を変えることはできません。そうできると思ったら、それは思い上がりです。主がそれをなさるのです。私たちは人に寄り添い、助けることはできるでしょう。「最も小さいひとりに」愛をもってへりくだって仕えるのです。
「最も小さいひとり」。それはあなたでなければならないところ、代わりはいないところ。夫であること、妻であること、父であること、母であること、息子であること、娘であること、友であること。最も身近な人にさえ鈍感な私たち。しかし、それを主に委ねられているではないでしょうか。