人間にとって本当の喜びは、自分で考え、決め、行動する自由ではないでしょうか。ところが私たちは意識するとしないとに関わらず、縛られ、支配されています。自分のことですら、わかっているつもりがわかっていません。人との関わりの中でぶつかるとき、実は真実な自分を映す鏡であることを認められず、思いは暗澹たるものになったりします。依存症の12ステップのはじまりは、「我々は○○に対して無力であり、生きていくことがどうにもならなくなったことを認めた」というところから始まります。
また、死は人を引き裂きます。どこへ行くのかわからず、孤独を恐れ、先延ばしにしようとします。生きることにも、死ぬことにも望みがないことを覆い隠して生きているのが私たち人の姿ではないでしょうか。
その私たちに望みを与えてくださったのは主イエスの復活です。「わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか」とは主イエスの十字架上での叫びであり、また私たちの叫びです。そこからイエスはよみがえり、罪と死に勝利し、私たちに新しい命を与えてくださいました。地上の歩みにはさまざまな試練を受けます。しかし、よみがえりの主がともにおられるのです。死はもはや恐れではありません。天に迎えられる希望があるからです。一切の悩みも痛みも傷も癒やされ変えられるところ。それは信仰によって与えられる望み。それを信じるのです。
目の前のことだけを見るならば、一喜一憂するだけです。私たちは天にある希望を仰ぎ見るのです。そのとき、自分を縛り付けているものから救われ、神のくださる天にある望みを喜ぶのです。復活の朝、主が賜る栄えに満ちた喜びを信仰によって与えたまえと祈ろうではありませんか。