「母」を語れば、それぞれにたくさんの思い出があることでしょう。母の心は、いつでも子どもを思う思いであり、いくつになっても、年老いたとしても、天に帰るその日まで母であり続けるのです。聖書の教える母、親について考えましょう。
エペソ人への手紙の5、6章は私たちの日々の生活について教えていますが、その原則は5:20,21にある「いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい。キリストを恐れ尊んで、互いに従いなさい」です。聖書の教える神を愛し、隣人を愛する生活です。その隣人の最も身近な関係は親です。母のいない人はいません。人は必ず母の胎から生まれてきます。誰にでもあてはまる切り離せない関係である親を敬うことは、それゆえに律法の中でも第一の戒めなのです。
敬うとは、その相手にふさわしい位置に置くということです。残念ながら私たちの多くは、親との関係の中に乗り越えなければならない傷をもっている場合があります。親だけができる唯一のことは、子どもを絶対に捨てないということですが、「あなたさえいなければ」とか「あなたが生まれてこなければ」などという否定的なことばを聞いたり、感じたりすると、私たちは自分を肯定することができません。それを乗り越えて敬う唯一の方法は、キリストの赦しによって、自分も赦す者になることです。
さらに、感謝を言い表し、ありがとう。ごめんなさい。赦します。という中に生きるならば、私たちは「しあわせに長生き」、つまり喜びある毎日を積み重ねることができるという約束がここにあるのです。あなたが今日なすべきことはなんでしょうか。一つ実行に移してみようではありませんか。
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