「永遠のいのちは神とともに」ヨハネ14:1-14

 人が死を迎えるとき、根本的な二つのことを問いかけられます。死は終わりなのか、もう一つは、自分のいのちの意味は何だったのかという問いです。

 この箇所は最後の晩餐の席、「わたしが行く所に、あなたは今はついて来ることができません」とイエスが弟子たちに告げ、動揺が走ったときです。イエスは、「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい」と言うのです。どのような根拠があって、そう言えるのでしょう。

 第一にイエスは「父の家に住まいを備える」と言います。見知らぬところに住まうとしたら、行ってみなければわからないことだらけ。問われるのは信頼です。

 第二にイエスは「私が道、真理、命」だと言われます、しかし、ピリポは納得しませんし、トマスは「どこへいらっしゃるかわかりません」と不安を表します。イエスは私を信じ、わざを信じなさいと言います。イエスと過ごした3年間彼らが見たのは、神の国のしるしでした。主は病をいやし、悪霊を追い出し、罪を赦し、喜びがわき起こりました。

 第三にそのわざは十字架と復活を通して完成しました。よみがえりのとき、トマスに「見ずに信じる者は幸いです」と語りかけたのは、まさに「神を信じ、また私を信じなさい」ということばそのものです。

 永遠のいのちとは、神とともにある平安と喜びです。私たちは自分のいのちの意味を問いますが、自分で築いたものなど、ボロ布をつなぎ合わせたキルトのようなものです。しかし、イエスがともにいて下る恵みを覚えるなら、自分の誇りや満足など問題ではないことに気づくでしょう。永遠のいのちは神の恵みですべて覆われるときだからです。この希望を見上げて歩もうではありませんか。

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