北王国イスラエル最悪と呼ばれるアハブ王、そこに預言者エリヤは「私のことばによるのでなければ、ここ数年の間、露も降りず、雨も降らない。」と神のさばきを告げます。そして、その三年目、450人のバアルの預言者と400人のアシェラの預言者、そして全イスラエルが呼び集められて、祭壇に火をもって応える神こそ真の神だと対決します。
主の預言者として残っているのは、ひとりだけだとエリヤは言います。圧倒的に大多数の者たちが別のものに傾いている中にひとり立つということはすごく勇気のいることです。流れに逆らわず、流されている方が楽なのです。神社参拝を強要された日本占領下の韓国の信仰者たち、踏み絵を踏まされたキリシタン。家族や周囲を苦しめるという足かせを捨てられないものがあります。しかし主は「わたしのもとに来て、自分の父、母、妻、子、兄弟、姉妹、そのうえ自分のいのちまでも憎まない者は、わたしの弟子になることができません。」(ルカ14:
28)と求めておられるのです。
そのような中、「おまえたちは、いつまで、どっちつかずによろめいているのか。」と民は優柔不断です。それは、バベルの再来です。そのとき「名を上げよう。私たちが散らされるといけないから」とシンボルをたて、偶像を建てていくところに、人々は集まってきます。謀反に次ぐ謀反、暗殺に次ぐ暗殺を繰り返す国が立ちゆかないという歴史を転げ落ちるのは、民の信仰も右往左往しているからです。
火をもって応える神こそ、「主こそ神です」と告白されるまことの神です。なおのこと、墓を打ち破り、死に打ち勝ち、すべてのものに勝利した主キリストは私たちの神です。このお方に「私はお従いします」と立つこと、それこそ私たちのいのちなのだということを新たにしましょう。そして、世に流されることなく、確固たる信仰を告白し、お従いしようではありませんか。