今年はコロナ一色の一年でした。そして、国のトップの言動に注目が集まり、また一人一人の内なる思いを探られました。裸の王様というアンデルセンの童話がありますが、見えないウイルスを巡って、人の目を気にして恐れる心、人のプライドのなす悪癖。立場が人を変え、謙虚な心を失ってしまう。そんなことを目にしてきました。それは人ごとではなく自分自身もまた問われることでした。
イエスの誕生は新しい王の誕生です。ヘロデにとって、東方の博士たちの訪問は寝耳に水。そして、自分を脅かす新しい王の話を聞くと、恐れに満たされます。そして、拒絶、抹殺という向きに向かいました。それは、自らが王として、君臨していたいからです。それは、政治の世界の話だけではなく、私たちは自らの小さな世界、それが夫婦であれ、家庭であれ、職場であれ、何かのサークルであれ、そこで小さな王として立ちたい思いを抱えています。
一方、東方の博士たち、彼らはすべてを投げ打って王を迎えます。しかも、ユダヤ人の王です。どういうことでしょうか。権力と征服、支配と被支配征服。神抜きに生きてきた地上の王たちが豊かさ、そしてバベルのように「名を上げよう」という偶像を築きあげながらも迷う地、それが東方です。彼らが真の神が与えたもう真の王だということを信じ、はるばる旅してきたのです。
神の国の王を迎えるためには「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」(マタイ5:3)とイエス様が教えられたように、自分で自分のこともままならない助けなくして生きていけないことを謙虚に認めるとき、イエス様を王として迎えるのです。裸の王様のようになってはいないでしょうか。王なるお方が来てくださった。その前にすべてを捨てて、喜び迎える時、神の国の恵みに招かれているのです。