私たちは自分の人生の王様、別の言い方をすれば自由に喜びもって生きたいと願っています。しかし、それが許されない世界が私たちの世界。誰かが自分の人生に君臨して虐げられたり、痛めつけられたり、またその逆であったり。修復しようともがいたり、あきらめたり。イエスの誕生は王の誕生。それはどのように受け止められるのでしょうか。
第一に反応、それはヘロデの反応です。彼はこのユダヤにおいて傑出した王でした。政治的手腕、それは支配国であるローマ皇帝に対して忠誠を果たし、一方で民衆の支持を得なければなりません。彼は実力者たちと婚姻関係を結び、神殿修建でユダヤ人の民族感情を味方につけ、この世の成功を勝ち取りました。一方、真の成功を測るのは老年になってから。自分の家族を治めきれず、疑心暗鬼になり妻や息子まで殺してしまいます。そこに自分の存在を脅かす王!彼が選んだのは、拒絶でした。
第二の反応、それ東方の博士たちです。東の国、それは地上初の権力者ニムロデの出た場所、以来、そこは弱肉強食の世界です。かつてアブラハムはそこから、私の示す地に行きなさいとう召しを受けて、どこに行くかを知らないで主に従いました。それはこの東方の博士たちも同じでした。豊かな繁栄を誇るところ、また、彼らは富も名誉もあったことでしょう。旅には大きな危険も伴ういわば賭けのようなものです。しかし、彼らにはそれよりも、新しい王を拝することこそ、人生最大の喜びと選びとったのです。
あなたに問いかけられていることも同じです。吹けば飛ぶような小さな王国、小さな幸せ。そこにイエス様を王としてお迎えするなら、そこは神の国。たとえ外はどんなに荒れていても変わらぬ自由と喜びがあるのです。