「目をさまして歩む」使徒20:27-32

 信仰の道を全うすることは、決して容易なことではありません。パウロはエペソの教会にこれから起こる様々な困難について二つの大きな警告を与えます。私たちの歩みには戦いがあるのです。

 第一は「凶暴な狼」が群れを荒らし回ることです。後にエペソの教会に宛てた手紙の中でその敵は「悪魔」あるいは「暗やみの支配者」と呼ばれています。アダムをエデンの園で誘惑したのも同じです。神に仕える御使いから堕落して神に逆らう存在となった悪魔は策略をもって私たちを誘惑します。なめらかなことば、へつらいのことば、一見正しいようにみえる理由などをもって、いかにももっともらしく、巧妙に襲いかかるのです。

 第二は「あなた方の中から」起こることです。ローマ書の16章には自分の欲に仕える人たちへの警告がされています。ここでの欲ということばの直訳は腹です。腹立たしい、腹が煮えくりかえる、腹に据えかねるというようなことばは、食欲をコントロールすることが困難なように、私たちが制御しがたい心の奥底から沸きあがってくる思いです。それはいつも自分を中心に置きたい支配欲というようなものと結びついています。

 「ですから、目を覚ましていなさい」とパウロは呼びかけるのです。流されているならば、私たちはこれらの敵に勝つことはできません。パウロは鍵は「神とその恵みのみことば」だと言うのです。そう、私たちが神のみことばによってでなければ打ち勝つことはできません。「いつも喜び、絶えず祈り、すべてのことについて感謝する。」自らの力ではなくして、神の恵みによって、みことばによってのみ、私たちは勝利の歩みをすることができるのです。さあ、目をさまして歩もうではありませんか。

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