「真実を隠してはいませんか」2サムエル11:1-27

 「まさかあの人が!あんなことを!」あのダビデがと思うことです。これまでのダビデからは考えられないようなこと。いったい何が彼に起こったのでしょうか。

 これまでのダビデの歩みは常に緊張、休むことなく向かうべきことが目の前にあって、悩殺されていました。一介の羊飼いであったダビデはペリシテ人ゴリアテとの戦いに劇的な勝利を得、王の目に留まり、戦士として連戦連勝でした。一方で王の妬みを買ってからは逃亡生活を余儀なくされます。やがて王になってからも西にペリシテ、東にアモン、南にモアブとエドム、北にアラム、囲まれた隣国との間に絶えず戦いがありました。ところが、その戦いにも勝利を収め、今や安定が彼の手中に入ったのです。

 その時、彼の心に慢心という隙が生まれました。ことが上手く運ばないとき、人は必死です。ところが上手く周り始めると思いもよらないことが起こるのです。詩篇の53篇には「愚か者は心の中で「神はいない」と言っている。彼らは腐っており、忌まわしい不正を行っている。」ダビデ自身のことばです。ところが、その愚か者に成り下がってしまったのです。罪は3段活用します。思い通りにしたい。思い通りにならない。邪魔者を消せ。ダビデも王である権威を乱用してそのようにします。私たちもまた自分の人生の王でいたいと同じことをします。その本質は「神はいない」と神から離れている罪ゆえです。

 クリスマスの祝福、それは「すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。」(ヨハネ1:9)救い主イエスに照らされて初めて私たちは罪が分かるのです。主よ。私に罪を教えてきよいものとしてくださいと祈りつつ、新しい歩みをさせていただこうではありませんか。

録音データを聞く