この箇所は、イエスさまが最初のしるしを行われた場面です。ガリラヤのカナという町で婚礼があり、イエスさまとその弟子たち、母マリヤが招かれました。しかし、お客さんに出すぶどう酒がないという非常事態に陥ったことで、心配したマリヤはイエスさまに「ぶどう酒がありません」と告げます。それに対し「わたしの時はまだ来ていません。」つまり、十字架にかかるその時は来ていないとお答えになりました。主のみわざは、肉親の繋がりに左右されてされるものではないとマリヤを拒んだ形を取られました。
「あの方が言われることを、何でもしてあげてください。」
マリヤは信仰をもって手伝いの人たちに言います。そしてその後、イエスさまは水をぶどう酒に変えられるという奇跡をなさいました。最上のぶどう酒を確認した世話役は、花婿があらかじめとって置いたものだと思って感心しましたが、真相を知っていたのはキリストに従って水がめに水を満たし、世話役のもとに持っていった手伝いの人たちだったのです。
このすばらしい奇跡は、最初のしるしとして予め定められていました。そのように、主のわざの時と方法も神が既に定められておられます。私たちがコントロールすることはできないのです。祈りにおいても、私たちはきかれる時とその方法をゆだねるべきです。また、水をぶどう酒に変えることは神にしかできないわざでした。同様に、私たちの罪を赦し、全くきよめてくださるのも主にしかできない奇跡です。キリストを信じ、全知全能の主におゆだねしましょう。