バルナバとパウロはアンテオケ教会から遣わされてキプロスに行きます。ユダヤ人だけの救い主ではない。全世界の救い主がキリストだと確信した彼らが福音を伝えようと願ったからです。キプロスはバルナバの故郷であり、陸路で行ける場所より地理的にも近い場所でした。地方総督のセルギオ・パウロは神のことばを聞きたいと願っていました。神を求める人を主は備えておられたのです。一方で彼は魔術師を囲っています。人は満たされていれば、それ以上何かを求めることはしません。彼は地位も権力も持っていましたが、それは彼の心を満たすものではなかったのでしょう。だから何かに頼るのです。
自分のパトロンを失うことを恐れた魔術師エルマは総督を信仰の道から遠ざけようとします。パウロは彼を盲にします。この出来事を見た総督は、主の教えに驚嘆して信仰に入りました。総督は奇蹟を見ましたが、主の教えに驚嘆したのです。
主の教えとは、主イエスが語った神の国です。山上の説教では「心の貧しい者は幸い」だとイエスは語りました。世の教えはそうではありません。「強い者が勝利する」と語ります。「金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい」のです。自分でも自分のことがどうにもならないことを知り、認めなければ、神の国には入れないのです。
なお彼らが語った教えは十字架と復活の主イエスのみわざです。1コリント15章には、パウロが最も大切なことがそれであると教えています。そう、総督が驚嘆した教えとは、十字架と復活の主イエスを通して救われて神の国を生きるという恵みなのです。身を低くして罪と弱さを認め、主の教えに救いと喜びをと祈りましょう。
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