「福音の望みをかみしめて」コロサイ1:9-23

 一年の終わりに振り返ってみると、その時々で通り過ぎていった出来事も積み重なって神の恵みを覚えます。パウロがコロサイの教会に書き送った手紙を通して私たちに与えられている恵みに心を向けてみましょう。

 パウロはエペソに滞在中にアジアにも福音を伝え、コロサイの教会が生まれました。その彼らのために祈るのです。第一の祈りは神のみこころに関する真の知識に満たされるようにという願い、第二の祈りは主にかなった歩みをして実を結ぶようにという願いです。私たちの歩みは信仰と生活が切り離せません。しかし、ときに「信仰か生活か」あるいは「信仰や生活や」と分離してしまいます。

 パウロは「神は、私たちを暗やみの圧制から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいました。」と言います。そう、私たちの住む世は暗やみです。神から離れた罪ゆえにいじめや差別、断絶と不理解、怒りと憎しみと争い、そのようなものに満ちています。そこから十字架の血によって赦され、和解をいただいているのです。しかもすでに「聖く、傷なく、非難されるところのない者」としてくださっているのです。

 だから、その主にかなった歩みをするようにと招かれているのです。そのためになすことは「忍耐と寛容を尽くす」ことです。主がどれほどの愛をもって忍んでくださったか。「父よ。彼らをお赦しください」と十字架上で叫ばれた叫びはどれほどの痛みを伴うものであったのか。それほどの犠牲を払って私は赦されている。だからこそいただく回復と和解なのだとこの望みをかみしめて一年を閉じたいと願うのです。

 主にふさわしからざることが心の中に残ってはいないでしょうか。心の大掃除をして、望み新たに新年を迎える備えとしましょう。

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