今日は、N神学生を送り出します。一年間のよき交わりに感謝しつつ、主にある働き人とともに教会に委ねられている使命を、このみことばに聞きましょう。
まず第一に、よみがえりのイエスさまにガリラヤの山でお会いしたときに、彼らはそこでイエスを礼拝します。礼拝するとは「ひれ伏す」ことを意味する言葉です。それは、すべてのことが、イエスが「私には天においても地においてもすべての権威が与えられています」と言われるその権威のもとにあることを告白することです。イエスの権威の及ばぬところは一つもないのです。そして、私たちのすべてがそれを信じ告白することにかかっているのです。
第二に、イエスが命じられた大宣教命令と呼ばれることばです。あらゆる国の人々を弟子とする。その宣教は、使徒1:8のことば、「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき…地の果てにまで、わたしの証人となります」というお言葉とともに前進してきました。そして、私たちにもこの世界宣教という大切な務めが委ねられています。それは、最も身近な一人から、地の果てに至るまでです。私たち一人でできることは限られています。しかし、私たちが自分の生きる場で主を証しし、また、宣教師を送り出し、あるいは互いの賜物を用いて世界大に協力し合う宣教を委ねられていることを覚えましょう。
第三に、「私が命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい」とあるように教育する使命が教会に与えられています。教え導くには、多くの時間がかかります。とりわけ教会の最も大きな教育は礼拝の中での説教でしょう。毎週毎週、小さな積み重ねの中で私たちはみことばを聞きます。それは牧師だけの務めではなく、ともにみことばに聞くこと、それに生きることの中で育まれていくものです。
これらを、日々、毎週繰り返していくのが教会の営みであり使命です。復活の主の救いの証人として、ともにこの使命にささげましょう。