使徒の働きを読み通しました。それぞれの出来事はわかっても、時間の経過や場所などはわかりません。用意したチャートを見ていただくと、手紙が書かれた背景、新約聖書の全体像をマクロに捉えることができるのではないかと思います。ピリピ書はパウロがそれを振り返りながら、教会にとって大切なことは何かと書き送っています。その中でも最も大切な勧めは「、いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい」(4:4)ではないかと思うのです。
使徒の働きには、宣教の前進とともに幾多の悲しくつらい出来事が記録されています。裏切り、病気、困窮、遭難、迫害、殉教。命を揺るがす連続です。パウロは「私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました」(4:11)と語ります。真の喜びとは私たちの状況如何に関わるものではないのです。
それでは何か。「私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています…それらをちりあくたと思っています」(3:8)。私たちは、みな目に見えるものを求め、それを喜びにしようとします。しかし、こんな罪人の私のために命を捨ててくださった方がおられる。それほどに愛されている。これこそ喜びの泉なのです。
だから「すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行いなさい」(2:14)と言うのです。キリストがそのようにしてくださったからです。つぶやきたくなること、やってもムダではないだろうかと思うこと。それが私たちの毎日です。しかし、キリストに倣い、喜びを生み出すように私たちは招かれています。それを見分け、喜びを生み出し、神の御栄えを表すことこそたちの目指すところです。今日の一日を喜びの日にと祈り進みましょう。