「罪の本質を悟れ」創世記3:1-13

 私たちは自分の周りに垣根を巡らして、自分の王国を作ろうとします。身近なところから、世界に至るまで不和や分裂、憎しみや復讐という悲しみに溢れているのはその垣根をめぐる争い、誰が一番偉いのかという問題です。最初の人アダムとエバは、園の中央の木から食べてはならないという神の戒めを与えられていました。それはしるしです。人としての分をわきまえ、神に従うしるしです。そこには自ら喜んで従う、「私よりもあなた」という麗しい愛の世界であったのです。

 しかし、蛇が彼らを誘惑します。神は本当に言われたのですか。神の言うことはウソです。それを食べれば神のようになる。3段階にたたみ掛けるのです。神のようになるとはどのようなことでしょう。それは、すべてのことを、どんな制約もなく思い通りにするということです。難しいことをしろと命じられたわけではありません。どの木からでも思いのままに食べてよいが、園の中央の木からだけは食べるなというごく簡単な戒めでした。

 しかし、彼らはそれを食べてしまうのです。食べた瞬間、彼らはいちじくの葉で自分を隠し、互いの間に隔ての垣根を作り始めます。罪の本質は「思い通り」です。それを通そうとするとき、「あなたより私」を主張し始めるとき、それこそが罪の本質なのです。どんなところにもその原理が流れています。

 それを断ち切る唯一の救いがキリストの十字架です。「キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし・・・二つのものをご自身において新しいひとりの人に造り上げて、平和を実現する。」蛇の誘惑は巧妙です。複雑に見えても実は単純な心の思いです。御霊に照らされてそれを悟り、そしてキリストに救いと愛に生きる力をいただこうではありませんか。

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