「贖い」のしるし

 「贖い」ということばは、キリスト教だけで使われるいわば専門用語です。それは、他のどこにもない唯一無比のことだからです。

 「贖い」は過越の出来事として覚えられることです。主はエジプト中の初子を殺されましたが、家の門柱とかもいに羊の血を塗った家を過ぎ越されました。そして、奴隷であったイスラエルは解放され、自由にされました。過越の贖いは救いのしるしです。

 「贖い」は旧約のいけにえとして守るようにと求められたものです。律法は人を罪に定めます。幕屋でのいけにえはそれを通して赦しを与えます。この二つはイスラエル人に与えられた契約=旧約です。彼らは神の基準である律法を守り行うように求められましたがそれを完全に守ることなどできません。罪を指し示すのです。一方でいけにえの代価をもって赦される、回復する、和解するという恵みにあずかることであったのです。

 「贖い」は「買い戻しの権利」としてレビ記の中に定められています。それは、人手に渡った近親者の土地を買い戻すことですが、実際にそれをした例はルツ記のストーリーだけです。それは買い戻しの権利には犠牲を伴うものであったからです。損をしてまでそれをする、そこには「愛」がなければできないのです。権利と呼ばれているもの、それは愛のゆえに進んで犠牲を払うことなのです。

 これらすべてに共通するのは、必ず代価が払われることです。犠牲を伴うのです。そしてその動機は常に愛でした。愛することとは意思を伴う行動です。そして、それを受け取るにはただ一つ「信じる」ことた条件です。そして、それはイエス様の十字架において成就します。罪の奴隷から解放されて自由にされ、恵みによって赦され、神のものとされる祝福。受難週、イエスが払われた代価とそのための愛の大きさを覚えましょう。