私たちのこの世界は「ありがとう、ごめんなさい、赦します」という三つのことばがあれば幸せに暮らせるはずです。しかし、私たち反対に「あたりまえ、そっちが悪い、顔も見たくない」などと平気で思い、あるいは言葉に態度に出してしまいます。なんと罪深いことでしょうか。
イエス様はここで七を七十倍するまで赦せと仰いました。徹底してとにかく赦し尽くせと仰るのです。頭ではわかります。しかし、心は納得しません。だから表向きには普通に振る舞い、一方では赦せぬ怒りに蓋をかぶせてしまい込んだりするのです。そのようにごまかし生きてはいないでしょうか。イエス様の教えは「心から赦す」です。どのようにして私たちは赦しに生きることができるでしょうか。それが続くたとえです。
一万タラントとは、とてつもない借金です。一デナリを一万円としたら六千億円。それは事業に失敗し、損失を穴埋めするために次から次へといろいろ手を出しものの、雪だるま式に借金が膨らみ、もはやどうにもならなくなったという額です。百デナリ、それは百万円。個人の借金で、返せない額ではない額です。主人があわれに思って帳消しにしてくれたにも関わらず、その恵みがわかっていないというたとえです。
赦すことは簡単なことではありません。犠牲を伴うからです。そのときこそイエス様の払った犠牲、愛の大きさ、あわれみの深さを
思い起こせ。そしてその恵みのゆえにあなたも赦せと言うのです。赦しだけが唯一この争いに満ち、罪に満ちた世界を変えることができる神の力です。そして、赦しが生み出すのは「どういたしまして、わたしこそ、ありがとう」です。神の愛はあなたを通して赦しを生み出し、世界を変えるのです。